@AUAgallerySA.KU.RA ,Aichi      Click here to go website
収蔵品=文化的価値が認められた作品群は、管理者によって劣化
を少しでも遅らせようと管理されています。特に大学の資料の
場合は、学生資料として有効なものを集めることが目的です。

しかし、収蔵品の中でも展示される機会に恵まれなかったり、
資料として活用されずに来たものたちが一定数います。
代々システムが変化し、担当者が次々と変わる中で法律も変わり、
扱いが難しくなったものもあるそうです。

そんな資料たちを見ていると、どれほど堅牢に作られたものであっても、
残されるかどうかは偶然性に委ねるしかないという
やるせなさを感じます。

例えば、酸素の薄い場所に描かれたために長く保存されてきた洞窟壁画や、
標高の高い場所でのミイラ、火山灰に埋もれた街や生物など、
偶然長期間保存されてきたものも沢山あることを思うと、
作り手がどれほど願っても最後はやはり偶然性に委ねるしかありません。

しかし、やるせなさばかりではなく、一度逆に考えてみます。

残そうとする↔︎叶うかどうかは偶然性に委ねられている、という両面がある中で、
それでも何かを残そう、残さなければという願いがあること。
それも素材の堅牢さに関わらずあります。

今、私の生活の中に入ってくるものごとを扱いながら人間が行う
“のこす“という行為に注目して考えてみたいと思います。
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