EDIBILITY

at Gallery Valeur , 2020
会場入口風景
会場入口風景
conceptdrawing-リンゴ
conceptdrawing-リンゴ
ハンバーグ
ハンバーグ
刺身
刺身
concept drawing-つまみ
concept drawing-つまみ
concept drawing-デザート
concept drawing-デザート
台所
台所
じゃがいもの芽の
じゃがいもの芽の
9回食べて4回死んで生きている
9回食べて4回死んで生きている
判断をしている
判断をしている
EDIBILITY
夜の渋滞。
ゆっくりとしかすすまない。
山道は街灯がなく、ヘッドライトで前の車とその両サイドの道しか見えない。
突然、前の車がバウンドしたかと思うと同時にゴリッとしう音がして、明らかに何かを轢いた。
驚いてスピードダウンすると、前の車が何かを避けるように対向車線にはみ出した、大型動物の白い骨が見えた。私は突然、一瞬しか見えなかったはずのその骨の生生しさに襲われた。
消費することを無意識レベルでできる社会の中で、突然視界に飛び込んでくる”モノ”の実体や存在の仕方が生生しく感じられ、それが知っていたはずの”それ”と同じものか疑わしくなることがある。
ものを理解するために言葉を使うが、言葉が優先しすぎると、たまにおかしなことになる。
言葉では知っていたはずなのに、実物を見ると初めて見るような感覚がある。
理解した言葉のまま表現したはずが、あまりにも実物からかけ離れているフェイクたち。
しかしフェイクで満足することが多い日常。
今までも制作の中で、そういったズレや見えていなかったことを題材として扱ってきた。
今回の題材は、体調の変化で食べられないものが出来た経験によるものだ。今まで食べていたものが突然食べるべきではないものになったこと。


Edibility は可食性と訳される。
日本では”可食性ペンキ”や”エディブルフラワー”など、普段は”食べられない”前提のものによく使われる。”食べられる””食べられない”の判断は、知らない人たちによって知らないうちに整えられ、食べられるものだけが見える場所にやって来る。当然のように食べられるものの中から選び、食べている。
”食べられないもの”があることを忘れ、判断をしなくてもよい生活。
都心部では身近に生えている毒草を食べ、亡くなる事故も起きている。
食べられるものしか見えない生活の中で、そういった事故がもはや他人事とは思えない。
システム化され、役割分担される社会は快適な暮らしをくれるが、たまに目隠しをしながら生きているような
感覚になる。
せめて制作の中では実感を取り戻し、目隠しを取り払うために足掻こうと思う。