FACE-conscious-
at Gallery Valeur , 2019
”ボディコン”は私たちの美の概念を覆したものらしい。
不細工は努力しても仕方がないという当時の日本の常識を覆し、
美しさは努力次第でなんとでもなる時代へ突入したという。
”可愛いは作れる”のが当たり前である現代の日本では、皆が美しくなろうと努力する。
しかし、それが定着してしまったために私たちは忙しい。
奇異と言われる美の風習を見直してみれば確かに美しく、かっこいいものも多い。
ムルシ族の唇板のように、歴史的な傷跡が風習として残ってしまったものもある。
かつて醜さの象徴であったそれは、現在は美の象徴になっていたりする。
歴史を見返した上で現代を見つめなければ、美しいはずのものも否定的に見えてしまい、
理解しがたいものに思えてくる。
新たな流行が起こった際、古来の美が失われたと言われることもあるが、
私にはどれも昔から存在している美であるように思われて仕方がない。
平たくて黄色いと言われる私たちの顔も、他の文化から見ればその特徴だけで豊かだ。
その文化が、自分にはどう見えていて、他からはどう見られているのか。
そのことを咀嚼してみなければと思う。