Illusory Suspicion
at Hagiso
Curated by Taichi Hanafusa
私は日常をただ平凡に過ごしている。 
そんな日常に、植物の〈顔〉をした何かが、空間の<顔>をした何かが、あるいは人間の〈顔〉をした何かが、どんどん増えている気がしてならない。
 それらは、おそらくただのプラスチックであり、映像であり、ロボットである。今では見慣れたものである。 
しかし、いつの間にかそれらの〈顔〉に慣れすぎてはいないか。
 たとえば、いつの間にか植物が本物でなくプラスチックであることに慣れて、
本来の姿形を思い出せない。
もしかしたら目の前のバナナの皮はゴムでできているかもしれない。
本当に怖いのは、そんなふわふわとした土台の上で日常を過ごしていることに
気づかないことだ。
いつの間にか元の姿がすり替わっていることへの違和感すらも感じずに、平凡な時を過ごしてしまい、ある日突然、自分が認識しているものと、目の前にあるものとの大きな乖離に頭をかかえる。
 仕方のないことかもしれない。
 しかし、ものをよく見なければ、何かをなくした時、何をなくしたかすらも思い出せなくなる。
それがなんとも言えない不安を私に与え続けている。
 ならば、そうした不安を解消するために、手始めに自らすり替えられたものたちを
扱ってしまおう。
そうして、積極的にそれらと関係を持ってみよう。
一つ一つ着実にものを見ていけば、その不安は解消されるはずだ。